こっぱ舎
きゃるる

バギー用バスケット
きゃるるを紹介します!

 

こっぱ舎の歩み


history  

こっぱ舎は、電機会社を脱サラして家具作りや江戸指物の仕事をしていた橋本和雄が、でく工房での実習を経て、1984年に開設した。最初の10年間は、自宅の庭に建てた15坪のプレハブの木工所だった。当初は注文家具と障害者の道具づくりの両方だったが、しだいに後者の比率が高くなっていった。プレハブ工房時代には、でく工房のように、各地で独立を志す実習生を受け入れた。工房の増加にわずかに寄与したかもしれない。

障害のある人の姿勢保持する椅子などは既製品がなく、ユーザーに合わせてひとつひとつ作る必要があった。それには木工が適していた。

90年代に入って、欧米のシーティングシステムやモジュラー式の車椅子が日本に紹介されはじめると、木工中心だったこっぱ舎の仕事は変化していく。成長対応や拡張性などの点で優れた欧米の既製品は、姿勢保持具のベースとして、それまでの木製品では得られない機能を備えていた。テクノグリーン社が輸入販売しているデンマーク・R-82社の「パンダ」がその代表といえよう。からだを直接支える個別対応が必要な部分は工房で製作し、ベースはそうした既製品を積極的に利用すればいいと考えるようになった。

発想が変わると、仕事の幅も広がった。

木工では対応できなかった姿勢保持の要素を盛り込んだバギーや車椅子などの移動具もいろいろな種類のものが提供できるようになった。 電動車椅子などの扱いも徐々に増え、技術や知識を少しずつ得ることができた。

わけても、94年に登場したモジュラー式リジットの車椅子「パンテーラ」から学んだことは多い。光野有次さん(当時無限工房、現でく工房)がスウェーデンから持ち込んだのは、パンテーラというハードだけでなく、その開発コンセプトや乗りこなし技術などのソフトであった。そのシーティングや車椅子の基本構造に対する考え方は、いまでも仕事をするうえでの基礎となっている。

パンテーラはユーザー自身が開発した先進的な車椅子だが、このようにユーザーやその家族が優れたものを発案したり開発する例が少なくない。「きゃるる」は、その好例で、こっぱ舎のバギーのユーザーの母親が開発し、こっぱ舎が発売元となっている。

これまであまり扱われていない、大企業には扱えない、けれど必ず必要とする人がいる物。そんな物を教えられ、あるいは発見して、長く地味に確実に提供していきたい。

その一つが「フリーウィール」(アメリカ製)で、日本ではまだユーザーは少ないけれど有用なアクセサリーということで、輸入販売をおこなっている。

また、2011年には、こっぱ舎を個人営業から脱皮して法人化して株式会社となった。メンバーも増やしていった。さらに18年には「バリアフリーサロン・美容室シュール」を開設。20年には福祉用具貸与・販売事業所の介護保険によるレンタルを開始した。

〈街の小さな工房が各地で、きめ細かに、物作りを含めた独自の活動をする。〉(『街の小さな木工所から 増補版』127ページ)
この若き日の竹野さんの宣言は、工房であり続ける以上、こっぱ舎の変わらない目標である。

“工房”に公式定義はないが、車椅子や座位保持装置などの業界では「工房」といえば、地域のなかで障害者の道具を個別対応で製作しているスタイルを指す。その原点は、1974年に設立されたでく工房だ。85年刊行の著書まえがきで竹野広行さんは次のように記す。
〈この本は、障害児(者)の使う道具作りをしている「でく工房」の仕事、考え方、生き方と、全国で同じ仕事をしている工房仲間の紹介を目的として書かれました。〉
工房数は当時15、増補版が刊行された3年半後には35に増え、現在は約100ヵ所の工房が活動している。

きゃるる

「きゃるる」はM&Rルーム(山本美由紀さん主宰)が開発・製作しているバギー用バスケット。大容量、かつバギーと一緒に折りたためるなど、使い勝手の良さから全国の工房や福祉機器業者から注文が相次ぐ。見た目はシンプルだが、緻密な設計。バギーの新型モデルが出るたびに、それに合わせて何度も折りたたみ実験をして製品化しているという。